偉大なる中国共産党、中国人民のために消滅せよ!   (前半)

【1】中国が世界の中心    



『平家物語』『三国志演義』を比較して読んでゐるのだが、同じ戦ふ男たちの話が書いてあっても、随分違ふものだね。



どこが違ふのか。



『平家物語』は「平和が当たり前」といふ無意識の前提で書かれてゐるのに対して、『三国志演義』は、戦争がすぐに起こるのが当たり前といふ無意識の前提で書かれてゐる。また、『平家物語』に登場する女たちは政治に関はらず、政治に振り回されて、ただ泣くだけといふイメージだが、『三国志演義』の女たちは政治に手を出すことが多く、皇后同士が罵りあったり、敵の女を無慈悲に殺したり、さうかと思ふと、たとへ殺されても夫の主君を裏切らない烈女がゐたりと、極めて活動的だ。………ほかに『平家物語』が自分の国を辺境の小国だと見てゐるのに対して、『三国志演義』は自分の国を世界の中心だと見てゐるのも大きな違ひだ。



『平家物語』は自分の国・日本を辺境の小国だと言ってゐるのか。



さうだ。『平家物語』の中には、「日本は辺境のちっぽけな国だが……あなたは尼になったから、極楽へいけるでせう」といふ言葉がある。これは平家が滅亡した後、後白河法皇が、敵側だった建礼門院徳子(平清盛の娘)を訪れて語った言葉だ。(第12巻。灌頂の巻)当時最高権力者だった院の言葉だから、『平家物語』が読み聞かされてゐたころは、日本人は自分の国を、田舎の小国だと思ってゐたのかもしれない。



それは、たった一つだけの実例か。



いや、ほかにも、「今から300年ほど前、弘法大師・空海が醍醐天皇に手紙を出して、『私は今、仏法を弘めるために、辺境の地・日本の高野山といふ所にをります』と書いた……」といふ話が書いてある。これは平安時代初期の最高知識人・空海が、最高権力者の天皇に書いた手紙文といふ内容だ。(第10巻。高野巻)だから、『平家物語』を伝へたり聞いたりしてゐた人々にとって、日本は辺境の地で、世界の中心は中国だったのだ。



しかし、世界の中心はインドではなかったのか。



仏教者にとって、理想の地はインドだが、インドは釈迦や阿弥陀仏がゐるから尊いだけだ。下手をすると極楽だから、あの世になってしまふ。少なくとも『平家物語』の中では、インドは現実の国としてあまり見られてゐないから、世界最高の中心国家は中国だ。 



中華思想といふのは、たんなる中国人のホラではなかったのか。



ホラではなかった。だから、奈良の正倉院に保管されてゐる世界的宝物は、ほとんどが中国産あるいは中国経由の宝物だ。また、癒し系・奈良飛鳥の仏像の多くは、止利仏師などが製作・指導したものだが、この止利仏師は中国系帰化人の子孫だ。だから止利仏師は遣唐使の通訳も勤めた。また、平安時代の日本に渡るため5回日本海航海に挑み、つひに盲目となりながらも日本に仏教と薬草の知識を伝へてくれた鑑真は大唐国の人だ。さらに、現在、日本国の代表者で、「国民統合の象徴」と日本の憲法で讃へられてゐる「天皇」といふ言葉は、ほんらい中国の言葉だ。古く日本では「みかど」といったが、今の小日本人はそれを止めて「天皇」と呼び、小日本国憲法にも中国式に「天皇」と書いてある。 



大体、日本で使ってゐる文字は中国の「漢字」だ。まず、「日本」は漢字だ。「にほん」とも書くが、これは、「仁保无」をヘナヘナにした文字だ。だから昔、日本人は漢字を「真名(まな)」(本当の文字)と呼び、ひらがなやカタカナを「仮名(かな)」(仮りの文字)と呼んだ。このやうに、今の日本から中国の物を取り去ったら、日本は成り立たない。いや、日本の歴史そのものが消滅してしまふ。だから、中国は日本の親・先祖だ。また、このことを日本の子供たちは学校教育の「正しい歴史認識」で学習して、よく知ってゐる。



そんなに外国を持ち上げ、自分の国を卑屈に貶めなくても良いのではないか。君はかなり自虐史観の持ち主だ。



自虐史観だらうが、中国崇拝史観だらうが、日本人がそのやうに語ってきた事実があるのだから、事実は曲げやうがない



誰が、どのような事を語ってきたのか。



誰でも知ってゐる遣隋使・遣唐使が中国崇拝の事例だ。また、江戸時代の多くの学者たちは中国オタクになって、荻生徂徠といふ有名な儒学者は、中国風の名前「物徂徠」と名乗ってゐた。ほかにも自分の名前を中国風に変へて喜ぶ学者は多かった。もちろんそれは反発も呼んだが、続く明治維新の立役者で、今も日本人から大変好かれてゐる江戸っ子・勝海舟は、「日本なんてスケールが小さい。中国は物も心も大きい。よく学ぶべきだ」と言ひ、さらに「日本人が最も敬愛する西郷隆盛は王陽明に心服・私淑してゐたのだ」とも語ってゐる(『氷川清話』)。だから、日本人は昔から中国を偉大な国だと思ってゐたのだ。



さういへば、今の日本人にも、万里の長城を一度見たいといふ日本人は多い。また、毛沢東の文化大革命に酔った日本文化人は多かった。



さうだ。日本人には中国を崇拝する心性が今も残ってゐる。ただし、昔の日本人は、中国の偉大な文化と、中国の粗野な政治とを峻別して見てゐたが、文化大革命に酔った日本文化人は両方を混乱して見てゐた。これは戦後60年間の日本知識人・文化人が極めて低能だったといふことを示してゐる事例だ。



それはどういふことか。中国の政治は野蛮だといふのか。



粗野だと言ってゐるのだ。中国の政治は、文化に導かれてゐる時は偉大な政治だ。今でも日本人に名前だけは知られてゐる『貞観政要』は、孔子孟子の論理に貫かれた徳治主義の立派な本だと思ふ。



君は読んだのか。



一通りといふ程度だが、読んだ。当時の政治制度のもとでは最高の政治が現れてゐると思ふ。だが、文化に導かれてゐない情況下では、中国の実際の政治は粗野な時が多い。



君は、さっき『平家物語』と『三国志演義』を読んだと言ったが、両方を読み比べたのか。



さうだ。



その『三国志演義』は、たとへば吉川英治などの日本人が書いた『三国志演義』か、中国人が実際に読んで面白がった『三国志演義』なのか。



中国人が読んで面白がった方だ。岩波書店から出ている『完訳・三国志』(全八巻)だ。『三国志演義』が本来の名称だが、日本での習慣に従って、岩波書店も三国志と書名をつけた。これを読むと、『三国志』は『平家物語』よりもはるかにスケールが大きく、権謀術策に富み、また大きな争ひのうねりの中に読者を引き込んでいく魅力を持ってゐるが、①スケールが大きいだけに、残虐性も『平家物語』よりもはるかに強く、②『平家物語』にはない、世界の平和を乱す要因が常に存在してゐる、③作品そのものの無意識の前提に、やはり『平家物語』にはない、「戦争があるのは当たり前」という発想がある。それだけに、どうしても他国を見るのに疑ひの目になりやすく、また、復讐戦争をするのは当たり前といふ、敗戦国日本には全くなかった発想になりやすい。この三点を少し説明しよう。まず、①残虐性を、実例を挙げて比較しよう。



面倒臭さうだから、簡単に説明してくれ。



何でも易しく簡単にといふのは、電子レンジと三流出版社に毒された現代日本人の悪い癖だが、僕も面倒なのはイヤだから、なるべく簡単に説明しよう。






【2】「三国志」(中国)と「平家物語」(日本) 




①「三国志」の残虐性


昔、中国の魏の国にゐた董卓(とうたく)は魏の国の権力を握った男だが、かなり残虐なことをして政敵を葬った。たとへば、降参した捕虜数百人の手足を切り、目をくりぬき、舌を切りとり、大きな鍋で煮た。苦痛にさけぶ声は天にひぴいた。……ある日、董卓が多くの政治家・役人を集めて酒席を催してゐた時、酒が何回か回ったころに、とつぜん董卓の家来が入って来て、董卓の耳もとで二言三言ささやいた。



董卓は笑って『さてはさうであったか』と言ひ、家来に言ひつけ、その宴会の場にゐた張温といふ者を堂上から引きずりおろさせた。人々は驚いたが、間もなく、侍従が一つの赤い盆を持って現れた。人々がそれを見ると、盆の上には張温の首が載ってゐた。




見た人々は、みな魂が消えさうな思ひだったが、董卓は笑ひながら、「諸君、驚くには及ばない。張温は以前から仲間を集めて、わしを亡き者にしようと計ってゐた。仲間への手紙が誤ってわしの子供のもとに届いたから、切り捨てたまでぢや。諸君には何のかかはりもないから、恐れるにはおよばんぞ」といった。人々は、ただうなづくだけで散会したのだった。(第1巻。p163)



『平家物語』には、このやうな描写はない。せいぜい平家が、平家打倒を密謀した大納言成親を捕らへ、酒に毒を入れて飲ませようとして、大納言が飲まなかったので、崖の下に鉄のさすまたを並べ、上から大納言を突き落とし、大納言が体を刺し貫かれて死んだことぐらゐだ。しかも『平家物語』は、このことを「このうへも無く無残な、かつて例のないこと」と語ってゐる。(巻2巻。大納言死去)仮の話になるが、『平家物語』を語り伝へてゐた琵琶法師が、『三国志』の今の話を聞かされたらならば、法師たちは震へ上がったことだらう。



もっとも、先の董卓は世間の嫌は者だったから、悪逆なことをするのが当然かもしれない。しかし、『三国志』の主人公に劉備玄徳といふ男がゐる。きはめて情に厚く、信義を守り、降伏した捕虜は虐待せず、自分に正義が無いと思ふとひどく気弱になり、臣下の前でも涙を流し、お人よしすぎる所があって窮地に陥ることもある人物だったが、兄弟の契りを結んだ関羽が呉に殺されると、「やつらは私の弟を殺した。やつらの肉を食らひ、一族を亡ぼさなければ、私の恨みは晴れぬ。」といって、家来が「私怨による戦ひは不義であり、民が疲れます」と止めるのを聞かず、呉との戦闘を命じて、罪の無い兵士や民衆を苦しめた。(第6巻。p100)




「あいつの肉を食ってやる。おまへの肉を食ってやる」といふ言葉は、『三国志』の中では戦闘開始の時によく使はれる慣用句だが、『三国志』では、大概このやうな互ひの憎しみを増す発言をしてから合戦開始となる。少し大げさに言へば、憎しみを増す努力をしてから、戦闘に入るのだ。一方、『平家物語』に、このやうな慣用句や憎しみを増す努力はない。『平家物語』では、両者が互いに礼儀正しく名のり合ってから、「いざ勝負」となるのが基本的作法?だった。



もっとも、公平性を保持するために続けるが、このやうな『三国志』の残虐性は、裏を返せば勇猛果敢な武士道だ。実際、『三国志』には『平家物語』に見られない勇猛な奮戦ぶりが多く見られる。たとへば魏の武将、夏侯惇(かこうとん)は、奮戦中に、敵の放った矢が左目に刺さったので、刺さった矢を引き抜くと、目玉も一緒に抜けてしまった。



夏侯惇(かこうとん)は、「父母の血で出来た目を捨ててならうか」と叫ぶと、飛び出した自分の目を口の中に押し込み、飲み込んで、槍を構へて馬を走らせ、自分を射た敵の顔の真ん中を突き刺した。敵は馬から落ちて息が絶え、夏侯惇は味方の陣にもどって治療し、そののちも勇猛な戦ひを続けた。(第2巻。p128)



また、殺されても敵に降参・寝返りしないといふ武将は『三国志』に多く、そのやうな敗者を勝者の将軍が尊敬して、殺すのを惜しがった話も多くある。だから、『三国志』には『平家物語』にはあまり見られない強い武士道精神が見られるのだが、それがひっくり返った残虐・悪逆な描写も多い。だから、現在、中国共産党が、「日中戦争中の日本軍の残虐行為」だけを強調し、時には水増しして、「すべて日本が悪い。歴史認識!正しい歴史認識!永遠に許さないあるね。」と叫んでゐるのは、彼らが下級下賤な共産主義などに道を求めたから、彼らの古典がなんとか保持してゐた、敵の武士道を讃える精神をなくしてしまひ、結局、自分たちの血の中にある残虐性が相手の顔に映ってゐるだけのことなのだ。





このページの最終訂正、2006年7月8日

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