「古事記の歌謡」と「ギリシア・ローマ抒情詩」の基本的異相  第14回 (最終回)

第六章 「GR詩」にあり、「記歌」にないタイプの詩歌 

       ② 教訓 
       ③ 追悼文(祖国の自由)
       ④ 神への感謝   





     前回説明したように、『古事記』は、古代ギリシア文学から見れば自意識過少、「知能の発育が遅れている」文学、逆にいえば、「幸福な文学」です。『古事記』には、前回の「風刺・皮肉」のセンスが見られないように、今回の「教訓・祖国の自由への感謝・神への感謝」も見られません。

     ただ、ここで気をつけたいことは、『古事記』の本文や歌に「教訓・祖国の自由への感謝・神への感謝」を表す文章や歌が無いからといって、古代日本人が「教訓・祖国の自由への感謝・神への感謝」の心を持っていなかったとは言えないということです。

     逆に、古代日本人、少なくとも『古事記』を構想した人々は、古代ギリシア人よりも、「教訓・祖国の自由への感謝・神への感謝」を意識する必要がないほど、祖国の自由に恵まれ、神の恵みを受けていたということです。

     『古事記』の神話の中の神々は「人を助ける神」であり(「日本神話とギリシア神話・第三回目」を参照)、天上の世界は他の国や世界から侵略を受けることがなく、また、そのような政治的発想が全く含まれていない神話でした(同第十回目第十五回目を参照)。またさらに、神武天皇以下の諸天皇の地上の国平定の話……まだ紹介していませんが……これも戦闘の記録は多くあるものの、侵略・被侵略という発想は薄い物語です。

     だから『古事記』は「幸福な文学」ではなく、「幸福すぎる文学」です。良くも悪くも、恵まれた幸福を意識し得ないほど幸福な文学であります。今回は前回の①に続いて、②③④を見ていき、「GR詩」を良き鏡として、古代日本人の思想的性格に思いを馳せていただき、さらに現代日本人がどのような思想的態度で政治・経済・文化を考えていくのが良いのか、またさらに自分がどのように生きていくのが理想的であるのかを考えていただきましょう。





② 教訓    


人間の力はわずかで、
思慮も又はかないもの、
ほんの短い一生中も
労苦に労を雅音てゆく。
その上にまだ逃れられない
死の定めが目前に掛かっている、
よい人も悪い奴らも
そこで同じ分け前にあずかるように。    シモーニデース(前出)




物すべて 同一の、おぞましき
混迷の淵に到るのみ、
大いなる功業も 富貴もまた。        シモーニデース(前出)




すべてのものは笑い
すべてのものは塵泥
すべてのものは無。
それも、この世にある
すべてのものは
不条理より生ずるものだから。        グリュコーン(伝未詳)




人間として、
予測すべきでないという災難は
一つもないのだ、
しばらくのあいだに
神はあらゆる事物を転倒させてしまいなさろう。  シモーニデース(前出)




富といえど 徳行を欠いては、
伴にいて災いをしないものではない、
この両方の まぜあわせこそ、
しあわせの極みを尽くすというもの。       サッポオ(前出)




その昔かつて世にあった半神の英雄たちも、
高しく神々を親としながら、労苦せず、嫉みも受けず、
危難にも遭わずに、世を経て
老いの日にたどり着いたのではないのだ。    シモーニデース(前出)






③ 追悼文(祖国の自由)                     


これはアテーナイの子ら、
ペルシャ勢をうち滅ぼして、
みじめな隷従のさだめを、
祖国から防ぎえたもの。               読み人知らず  




   テゲアを護って死んだアテーナイの前衛に

この人々の勇敢なはたらきにより、
広やかなテゲアの町の燃え上がる火煙も、
高空に至らずに止んだ。
彼らこそ、自分の国が自由を享けて栄えているまま
子孫へ伝えようと、
みずからは先陣をかけ、死を選んだ者。      シモーニデース(前出)




   ペルシア戦役の死者に  

終りを潔うすることが
武人の道の要諦ならば、
われらにこそ此の徳を、
万人に超えて
運命は授けてくれたのだ。
ヘルラスのため、自由をまもると
競い、戦い、
永劫の誉れを享けて
今ここに
われら眠る。                     シモーニデース(前出)






④ 神への感謝    


   満ち足りた願いに  

パフォスの女神には花の冠を、
パルラスには私の髪を、
アルテミスには腰帯びを
カルリロエーが献げまする。
望み通りの夫に連れそうことができ、
若い日を慎ましく
清らかに過ごしたうえ、
いま男児をもうけました御礼に。           アガティアース(AD6)    




   貞女の墓碑銘

この石の下に眠るは私、
ただ一人の人のためにのみ
腰帯を解いたゆえに
その名をうたわれた女。                読み人知らず 






     繰り返しになりますが、『古事記』は、恵まれた幸福を意識し得ないほど幸福な、「幸福すぎる文学」でした。もしも、『古事記』を構想した人々が『ギリシア神話』や「GR詩」を読んだならば、『ギリシア神話』の規模壮大と「GR詩」の機微に驚くと同時に、「なんと自分たちは恵まれていて、幸福なのだろう」と呟いたでしょう。

     ひるがえって現代日本人は、自分たちが受けている自然・歴史からの恵みを意識しているのでしょうか。ひょっとすると、『古事記』の構想者たち以上に、意識も感謝もしていないのではないでしょうか。なかには日本の過去・歴史を悪く考え、また語って、それで日本と世界の平和が実現すると思っている人もおられるようです。   

     与えられた幸福に感謝する感性を持たない者は、結局、幸福になれません。たとえ世界の平和が実現しても、本人に平和はやって来ません。では、自分の平和を実現できない者が、世界に平和・幸福をもたらすことができるのでしょうか。

     「日本の自然・歴史の恵みに感謝しろ」と言うのは、いかにも説教くさく、口幅ったいものがあります。しかし、感謝することがあたかも損をすることにつながるのだというような考え方は、少なくとも自分と周囲とを不幸にする考え方であるということは間違いのないことです。現代日本人は、日本歴史の欠点は欠点として認めつつも、長所や恵まれた点は素直に感謝し、さらに「物を言わない日本人」という海外からの疑問・批判に応えて、日本の長所を長所として世界に表明する勇気と智恵を持つべきではないでしょうか。




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