テレビ朝日が靖国問題で朝日新聞を批判?

テレビ朝日が靖国問題で朝日新聞を批判したいと願ってゐるとしか思へないブログ記事を、当のテレビ朝日あるいはテレビ朝日関係者から送りつけられたやうで、困ってゐるんだ。



なんだ、それは。



今日、自分のパソコンをのぞいたら、僕のブログ記事「靖国神社参拝は当然だが、靖国神社の神主は馬+鹿である(後半)」(2006/07/05)に、トラックバック記事が送りつけられてゐたのだよ。読んでみると、ページの頭に、「靖国神社について」というタイトルがついてゐる。それはそれで当然なのだが、そのページに、「テレビ朝日のアナウンサーと時事テーマ」という項目があって、その項目をクリックすると、次のページが開いて、「テレビ朝日の沿革・大株主・テレビ番組・スタジオ・歴代キャッチコピー ・主な事業・関係会社・支局・他局との垣根を越えた中継・アナウンサー一覧・元アナウンサー・外部リンク」等々の項目が出てくる。これがまた、すべてクリックすると、それぞれの細かな説明ページが開くようになっているのだ。



そんなことは、当たり前ではないか。それは、テレビ朝日のホームページか、テレビ朝日関連企業のホームページだよ。



僕もさうだらうと思ふ。それで僕は困った。



何を困ることがあるものか。テレビ朝日だろうと、朝日新聞だろうと、君が気に食はないならば、そのトラックバック記事を消去して、初めから外に出さなければ良いではないか。



いや、それはさうなのだが、その記事は情報量が多く、また僕が「へえ!」と声をあげて関心してしまふやうな情報が多いのだよ。



だったら、君の記事にトラックバック記事として公開すれば良い。君が悩むことは何もないだらう。



しかし、反・反日マスコミ的なブログ記事も今まで書いてきた者としては、突然、反日マスコミの雄と目されてゐるかもしれないやうなテレビ局の関連ページを自分の記事に添付するのは………少々くやしいやうな、情ないやうな………。



何を言ってゐるのだ。君は自分のメンツで有意義な記事をボツにするのか。そもそも、君が「へえ!」と声をあげてしまったといふ情報といふのは、なんのことだ。



古舘伊知郎氏や小宮悦子さんは、テレビ朝日の社員ではない。この二人は退職者扱ひなのだ。



ほう、それから。



テレビ朝日の大株主は、朝日新聞社 33.87%は当然だが、昔は旺文社や小学館も大株主だった。人気番組「ドラえもん」が、テレビでは10チャンネル、漫画は小学館だといふ理由がここにあったのだ。



君、靖国の話は、どこへ行ったのかね。



あ、さうさう。それで、最初のページには、「靖国神社・基本情報・祭神・今日の靖国神社 ・靖国神社が描かれた郵便切手・歴史・論議・関連する事項・文献・靖国神社を舞台・モデルにした作品・外部リンク・関連項目」等々の項目があり、これがかなり充実してゐるのだよ。僕は日本古典で食ってゐるから、「靖国神社を舞台・モデルにした作品」をクリックして見たが、これに関してだけは僕の勝ちだ。



妙なところで自慢するものだ。そのページには、どんな作品が載ってゐたのか。



『九段の母』(塩まさる、二葉百合子ほか)・『東京だョおっ母さん』(島倉千代子)・『同期の桜』しか紹介してなかった。しかし、たとへば、落語家の………落語家といふと嫌がる名人もゐるから、噺家といふ方が良いのかもしれないが………、古今亭今輔が「薮入り」の噺の中で、明日一年ぶりに薮入りで帰宅することになってゐる子供を、父親がもてなしてやらうと計画して、妻に「明日、息子が帰ってきたら、浅草の活動写真を見せて、上野の動物園へ連れて行って、靖国神社へ連れて行って、横浜の波止場で大きな外国船を見せて驚かして、ついでに奈良の大仏様を見せて………」と語って、妻から、「薮入りの休みは一日しかないのに、そんなに連れて行けるわけがないでせう。」と言はれる場面がある。だから、靖国神社は東京の名所だったのだ。この噺は、100円ショップの店へ行けば、「落語CD」のシリーズ物の一つとして、店頭に置いてあるが、テレビ朝日の記事はまだまだ未熟だ。また、夏目漱石の『こころ』の一場面にも靖国神社が自然な描写で登場してゐるはずだ。



よく知ってゐるな。



それから、田山花袋といふ小説家が書いた『東京の三十年』といふ本がある。これは田山花袋が明治14年から30年間の東京を思ひ出して書いた本で、花袋自身と島崎藤村・国木田独歩・柳田国男ら友人たちとの付き合ひが、さらに尾崎紅葉・幸田露伴・森鴎外ら先輩作家との付き合ひも書いてあるのだが、この本の中で招魂社(今の靖国神社)について述べてゐる一章がある。かういふ文章だ。



「九段の招魂社は、私に取って忘れられない印象の多いところである。………戦死した父がそこに祭祀されてあるということが、大きくなってからも私をそこに引き寄せた。四月十四日に父親は戦死しているので、春の祭祀の時は、兄はいつも一日役所を休んで、そしてはかまを着けてそこにお参りに行った。………。国のために身を捨てた父親の魂は、そこを通ると、近く私に迫ってくるような気がした。………。春秋二季の時の見世物小屋の光景がまた私に親しいなつかしい感じを起こさせた。『招魂社へ行くんだから、お銭をおくれ!』こう言って私の二人の男の子などは、今も出かけていくが、私もやはりそうした男の子であったのだ。」(岩波文庫本p68~p70。初版は大正6年6月15日に博文館から。岩波文庫本は現代仮名遣ひに変更してある)だから、君、靖国神社は、明治さらにおそらく大正のころまでは、庶民に親しまれてゐた神社だったのだ。



それと、君の「へえ!」とが、どう関係してゐるのだ?



あ、さうさう。そのトラックバック記事の最初のページの中の「外部リンク」項目をクリックすると、「靖国神社公式参拝関係年表」といふ項目が出てくる。そこをクリックすると、昭和20年(1945)8月から平成14年(2002)5月までに靖国神社を参拝した日本国内外の主要政治家名や宗教家名などが書いてあるのだ。



それで、なぜ君が「へえ!」と驚くのだ。



結論を先にいふと、昭和53年10月にA級戦犯が靖国神社に合祀されて、翌年4月にそのことが一般に知られるやうになり、その頃から総理大臣が靖国神社に参拝するとマス・メディアが大騒ぎをするやうになった。また、靖国神社や行政当局が裁判に訴へられるやうにもなった。ところが、そのあとも、多くの外国の大臣級の政治家や著名な人々が靖国神社を参拝してゐたのだ。



たとえば?



チベット仏教(ラマ教)の法王ダライ・ラマ14世。
インドネシアのアラムシャ・R・プラウィネガラ宗教相。
エジプトの前世界イスラム審議会事務総長モハメッド・トゥフィック・オーエイダ博士。
駐日エジプト大使モハメッド・サミー・サーベット氏、公使アニース・ネマタラー氏………。



それだけか?



まだ続きがあるのだよ。そのあと、昭和60年8月15日の中曽根康弘総理大臣・靖国神社公式参拝を受けて、新聞やテレビなどが騒ぎ、また同日に、社会党・公明党・民社党・共産党が抗議談話を発表したあと、同月22日、中国の新華社通信(国営)が靖国神社公式参拝を批判した。そのあとにも、多くの外国の政治家や宗教家が靖国神社を参拝してゐた。
チリ国・通産大臣ルネ・アベリウク氏。
在日スリランカ大使 C・マヘンドラン氏。
フィンランド特命大使 カリ・ベリホルム氏。
リトアニア共和国 アドルファス・スレジェべシス首相
チベット前主席大臣(首相)テイジン・テトン。
ミャンマー国(旧ビルマ)文化大臣ウ・アエ氏。
パラオ共和国政府顧問イナボ・イナボ氏。
パラオ・ぺリリュ-戦の旧日米両軍関係者53人。
イランイスラム共和国一等書記官M・シャケリ氏。
スロベニア国連大使ダニーロ・チュルク氏。
旧朝鮮王朝李玖王子
カナダ・ビクトリア市 セントマイケルズ・ユニバーシティ・スクール。
アゼルバイジャン共和国元首相・人民戦線党最高評議会議長アリ・マシホフ氏。
ペルー前大統領アルベルト・フジモリ氏。



随分たくさん並べたものだな。それで、どうだと君は言ひたいのだ。



ここに挙げた国々は、いはゆるA級戦犯が靖国神社に合祀されてゐることを否定してゐない、といふよりも参拝したのだから、敬意を表したといふことではないのか。特に、中国の新華社通信が総理参拝を明確に批判したあとに、大臣や大使が、国によっては首相が靖国神社を参拝しているチリ国、スリランカ、フィンランド、リトアニア共和国、チベット、ミャンマー国(旧ビルマ)、パラオ共和国、イランイスラム共和国、スロベニア、アゼルバイジャンなどの国々は、中国共産党の批判などは無視してゐると言へるだらう。



さうか、つまり、君は中国共産党はこれらの国々をも批判するべきだと言ひたいのだ。多くの敵を作らないやうに、おとなしいが甘い蜜を吸へる日本だけを批判してゐる中国共産党は卑劣であると。



いや、僕はすでに以前の記事で述べたやうに、中国共産党をまともに相手にするつもりはない。まともに相手にするつもりならば、中文でこのブログを発信してゐる。もっとも、幸か不幸か、中国語は読み書きともにできない。僕が相手にしてゐるのは日本人だ。特に、A級戦犯あるいは戦争犯罪といふ言葉を、黄門様の印籠のやうに振りかざして、靖国参拝批判をリードしてゐる反日政治家・反日文化人・反日マスコミ関係者様たちに尋ねたいのだ。「なぜあなたたちは、A級戦犯合祀を知りながら靖国参拝をしたこれらの国々の参拝者を、長年の間、批判しなかったのか。一体、日本人政治家の靖国参拝だけを批判して、外国人政治家の靖国参拝を一切批判しない合理的理由を持ってゐるのか。あなたたちは、本当はA級戦犯を批判するのが目的ではなく、単に日本批判が愉快であり、それがたまたま自分の正義感と高級感を満足させてくれてゐるだけのことではないのか。」と。君、この質問は朝日新聞への質問にならないか。この質問は、すべてテレビ朝日関連のトラックバック記事が僕に書かせた質問皮肉なのだ。………おっと、もう一つ質問があった。



しつこいな。まだあるのか。



これを言っておかないと、反日日本人ご一行様が本気でA級戦争犯罪といふ言葉を信じてゐるのではないといふ証拠にならないからだ。



なんだ、それは。



A級戦争犯罪とは、極東国際軍事裁判所条例の第五条の(イ)の定義、「平和ニ対スル罪即チ、宣戦布告ヲ布告セル又ハ布告セザル侵略戦争、若ハ国際法、条約、協定又ハ誓約ニ違反セル戦争ノ計画、準備、開始、又ハ遂行、若ハ右諸行為ノ何レカヲ達成スル為メノ共通ノ計画又ハ共同謀議ヘノ参加」のことだ。
 


もっと簡単に言へないのか。



簡単に言へば、「平和に対する罪」だ。「共同謀議して、侵略戦争を計画・準備・開始・遂行して、世界の平和を撹乱したという罪」だ。ついでに、B級戦争犯罪とは、簡単に言へば、「通例の戦争犯罪」だ。「戦争法規および慣例に違反したという罪」だ。さらに、C級戦争犯罪とは、簡単に言へば、「人道に対する罪」だ。「非戦闘員に対して加えられた大量殺戮、奴隷的虐待、追放その他の非人道的行為」だよ。



まだ、ややこしいが、それで、君のいふ反日日本人ご一行様が、本気でA級戦争犯罪といふ言葉を信じてゐるわけではないとは、どういふことか。



日本に原爆を二発も落として、非戦闘員である一般民間人を一瞬のうちに何万人も殺戮したアメリカのトルーマン大統領は、「非戦闘員に対して加えられた大量殺戮、奴隷的虐待、追放その他の非人道的行為」といふC級戦犯に最適なのに、反日ご一行様たちは、靖国裁判のやうにトルーマン大統領を訴へることをしなかった。国際司法裁判所だらうが国内裁判所だらうが米国裁判所だらうが、もって行く所はあったはずだ。………もっとも、B級とC級の違ひは、ニュルンベルグ裁判で、外国人に対する戦争犯罪をB級とし、自国民に対する戦争犯罪をC級として、ナチスドイツの自国民に対する戦争犯罪をも裁けるやうにした経緯があったらしいから、本当は、トルーマン大統領はB級の方がふさはしいのだが、どちらにしてもABCは罪の重さを区別するための記号ではないのだから、反日ご一行様たちはトルーマン大統領を訴へてゐたはずなのだ。………



………もちろん、自国民2000万人あるいは3000万人を文化大革命で虐殺あるひは餓死させたといはれる毛沢東は「非戦闘員に対して加えられた大量殺戮、奴隷的虐待、追放その他の非人道的行為」のC級戦犯に最適だが、反日日本人ご一行様たちは、毛沢東をC級で訴へるやうにと中国共産党を説得することは、一度もなかった。もちろん、自国民の餓死状態を知りながら、軍拡・核開発に突き進み(C級およびA級の疑いあり)、多くの外国人を無理やり拉致して(B級確定)、世界中の警告を無視してミサイル発射実験を強行した(A級可能性あり)北朝鮮の将軍様を戦争裁判に訴へた反日日本人ご一行様は、一人もゐなかった。かつて「北朝鮮に特殊なパイプを持ってゐる」と自賛し、同時に戦争犯罪人追求に熱心だった旧社会党の全党員および土井たかこ女史など旧委員長は、今からでも諫死覚悟で将軍様を諫める、あるいは戦争裁判に訴へるべきだ。「あなたたちは今から将軍様を戦争犯罪人として裁判に訴へて、自分たちの論理を通し、また自己矛盾を防ぐつもりはないのですか?」これが二つ目の質問だ。君、これも朝日新聞への質問にならないか。



今回のこの二つの朝日新聞への質問は、すべてテレビ朝日を主内容とするトラックバック記事を材料にして出来上がったのだ。テレビ朝日の関係者は、僕にこのやうな朝日新聞批判記事を書かせたかったから、僕のブログ記事「靖国神社参拝は当然だが、靖国神社の神主は馬+鹿である(後半)」(2006/07/05)にトラックバック記事を送りつけてきたのではないか。もしもさうではなくて、単に「馬+鹿」といふ文字だけを見て、自分の仲間だと思ひ込んでトラックバック記事を送りつけてきただけならば、それは、送ってきた者がテレビ朝日と関係する者であらうがなからうが、送りつけてきた者自身の言葉に対する無責任さを自ら露呈しただけのことなのだ。







【付記】
ここ数回、無粋な時代状況のために下賤な文章を書き続けさせられてゐるので、今回のタイトルとは全く無縁の、しかし優美な精神空間を呼び戻してくれる『古今和歌集』の歌三首を紹介する。春・夏・秋の季節を詠んだ平明な、しかし現代人には平明なるがゆゑに詠めなくなった歌である。読者諸賢には、朗詠していただくことを勧める。




霞たつ春の山辺は遠けれど 吹き来る風は花の香ぞする  (春)在原元方

日本古典で単に「花」といへば、まず「桜」。ただし、奈良時代の『万葉集』では「梅」が最多頻出。上の句「春の山辺は遠けれど」は視覚、下の句は触覚および嗅覚といふ対比で出来上がってゐる。





五月待つ花橘の香をかげば 昔の人の袖の香ぞする  (夏)よみ人知らず

最初の勅撰和歌集である『古今集』以降、「恋」や「懐旧」を詠んだ歌として最も有名。
これは「夏」の歌だから、「昔の人」を異性に限る必要はないが、「袖の香」が閨で敷いた相手の衣の香と読むのが素直でナチュラル。






秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる  (秋)藤原敏行

上の句が「視覚」、下の句が「聴覚および触覚」の対比。季節に敏感だった古人ならではの歌。












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