開かれた愛国心と愛国心教育のすすめ (続。その二)

できの悪い子をよくする時、悪いところを叱るよりも良いところを誉めるのが教育の常道である。だから、「日本はアジア侵略への反省が足りない、平和への熱意が見られない。」と嘆く、あるいは悪罵する平和教育者は、「日本にも元々、平和的な性格がある。」と、日本人にきちんと教える方が効果的なのだ。



そもそも日本人は好戦的・侵略的なのだろうか。日本人の思想に大きな影響を与えたものに、神道・儒教・仏教の三つがある。神道は影響を与えたというよりも、元来の基盤であるが、この三つには平和的と言って良いような側面があるので、この三つ、特に初めの二つについて考えて頂きたい。



まず、日本神話に現われた神道は思想的にいえば自他区分以前の段階、つまり政治以前の段階であり、次に儒教は自他区分の段階、つまり政治的な段階であり、最後に仏教は自他の区分を止揚した段階、つまり慈悲慈愛により政治を超えてしまう段階である。筆者は、政治と宗教は理論上峻別されるべしとの考えを持っているので、仏教については触れず、その代わりに日本語に見られる対立回避性を指摘したい。





1、日本神話に見える非加虐性

『古事記』や『日本書紀』に書かれている神話の中で神武天皇以前の、政治性が薄い「神代記」には戦闘による流血の記述は少ない。神武天皇以降の神話では国内平定のための戦闘の記述があり、実際、考古学者の発掘によれば戦闘の跡は存在し、武人の埴輪も多数出土しているが、「神代記」では流血の惨事は少なく、しかもたとえ血が流れても、その血から新しい神々が多数生まれるという内容に話の筋が変わってしまうことが多い。つまり、殺傷流血の事件が生命生成の原理に転化してしまう話が多いのである。



たとえば、「いざなぎの命(みこと)」が刀で、「かぐつちの神」の首を斬って殺す話がある。すると、刀についた血が多くの岩に走って付いて、そこから八人の神々が生まれ、また殺された「かぐつち」の頭・胸・腹・手・足からも多くの神々が生まれたという。この話は相手の、場合によっては自分の生命を無に帰することを嫌った発想の表われであって、広い意味では古代日本人の平和的心性の一端が現われたものだと見る事ができると思う。



また、「神代記」の中で最も政治性と戦闘性が強い話は、「すさのおの尊(みこと)」が天照大神に会いに来たのを、天照大神が領土侵略と考え、武装して「すさのお」に立ち向かう場面であるが、その話も、結局は誓約(うけい。占いの一種)で決着がついて、両者の武力対決は行われていない。



またさらに、天皇統治を合理化するために潤色されたと時々言われる、いわゆる天壌無窮の神勅も、敵というものを予想した排他性は極めて薄い。「葦原の千五百(ちいほ)秋の瑞穂の国は、わが子孫が王たるべき国であります。皇孫のあなたが行って治めなさい。さあ、行きなさい。宝柞(あまつひつぎ)が栄えることは天地と共に窮まりがないでありましょう」という宣言は、統治の正当性を確かめたものに過ぎない。(もちろん統治の正当性を主張しない権力は、世界中どこにもない)。つまり、他人の国を侵略して来いとか、逆らう者を血祭りに上げよとかいう宣言ではない。敵というものが、ほとんど意識されていないのである。



またさらに、上代の武人の埴輪は、だれでも一度は見たことのあるものであろうが、穏和な、笑顔とさえ見える表情である。





2、儒教の王道思想

山背大兄王(やましろのおおえのおう)は皇位継承の問題で蘇我入鹿に突然襲われた。王は、「東国に馬で逃げ、兵を率いて戦えば勝てる」という家来に対して、「確かに、お前の言う通りすれば勝てるだろう。しかし自分は十年前、人民を労役に使うまいと心に決めている。自分の一身上のことで、どうして万民に苦労をかけられようか。また人民が私についたために、戦闘で自分の父母をなくしたと、後世の人に言われたくない。戦って勝ったからといって丈夫(ますらお)といえようか。己が身を棄てて国を固めたら、それこそ丈夫と言えるのではないか。ならば、わが身一つを入鹿にくれてやろう。」といって自決された。



おりから大空に五色の旗や衣笠が現れ、さまざまな舞楽と共に空に照り輝き、建物の上に垂れた。それを見た多くの人々が驚き、入鹿に指し示した。するとその旗・衣笠は黒い雲に変わった。それで入鹿は見ることができなかった。(『日本書紀』)



この話について、大学受験生によく読まれている『日本史小辞典』は、「書紀の記載は潤色あるも、それによれば、王はこの時、生駒山に逃れ、三輸文屋君の挙兵勧告を退け、一身のために万民を労するに忍びずとして斑鳩寺(法隆寺)で一族と共に自頸(みずから首をはねる)。」と、一応は王の言葉を史実と認めるような書き方をしている。本文もこれに倣うが、この王の考え方は、思想史的に見れば、儒教的王道思想である。同じような話が中国古典にもある。



中国の春秋時代から漢の初め頃までの逸話を儒教的立場から集めた『新序』という本だが、その中にこのような逸話が載っている。
昔、斉の国の景公という王の時、大変な日照りとなって三年も続いた。占いの者に判断させたところ、人身御供を出して天を祭るならば、必ず雨が降るだろうとのこと。そこで景公が言った。「私が雨を求めるのは、わが民のためである。今、生贄を出して天を祭るならば、すぐに雨が降るという。ならば、私が生贄になろう」と。景公がこう言い終わらないうちに、天から大いに雨が降り、その範囲は千里四方の広さであったと。



これらの二つの話は内政に関する内容だが、極めて平和的である。この話が外政にまで単純に拡大されれば、侵略戦争などあり得ない話なのではないか。





3、平安時代の対立回避性

平安時代になると死刑が執行されなくなった(樋口清之氏)。思想的には仏教の博愛思想の影響だろう。その代わりに陰湿な政争は増えたが、露骨な争いを嫌い、下品なものと見る見方は確実に定着した。また、国語学者がどういっているかは知らないが、平安時代の文献中の語彙に、対立や無礼の形成を避けようとする平安貴族の感覚を見ることができる。



たとえば、①「私」という主語を避け、さらに主語全般を敬語から迂回して推測させる特質、②その人がいる場所や建物を指示して、その人そのものを意味する表現法など。具体的には、「ここ」→私。「そこ」→あなた。現代語の「そなた」、「どなた」。また、建物表現による人間指示法としては、「院」、「御門(みかど)」、「殿(との)」(山田殿とは山田御殿の意味)、「女房」(房は部屋の意味。現代の冷房暖房)。現代の俗語「きれいどころ」。



また、③平安時代に複雑に発達した敬語も対立・無礼を回避する要求と関係がある事は間違いない。さらに、「われ」・「おのれ」という単語が、「私」だけでなく「あなた」の意味も持っている(現代でも、少々汚い言葉だが、「河やってるねん、われ」、「どういうつもりや、おのれは」)という、英語では信じられないような現象は、自他の区別や対立を弱めようとする平安貴族の発想の現われと見てよいのではないか。





4、多様な平和の概念

ここで話題を平和思想に転換させていただく。平和を意味する概念を比較研究した日本の学者によると、古代ユダヤ教の平和・シャーロームは正義への積極的な志向があり、ギリシャの平和・エイレネやローマの平和・パックスは秩序を強調し、日本や中国の平和は調和を重んじ、インドの平和・シャーンティは心の平静を重視する。一般的に、西洋キリスト教文明圏では平和への態度が外向的・政治的である(よって時には、平和のための戦争を引き起こす)のに対し、東洋文明圏では憎しみを持たない心の平安といった内向的・非政治的な傾向がある(よって時には不正義を放置する)。さらに、中世ヨーロッパの民衆にとって、平和パックスとは領主間に戦争がないことではなく、自分たちの生活や文化を維持するための物質的・精神的基盤が保護されていることだったという。また、これらに見られる平和価値の多様性それ自体は否定されてはならない。大国の平和価値を他国に押しつける事は、平和という名の暴力にほかならないということである。(『現代政治学事典』ブレーン出版。『世界大百科事典』平凡社)



ならば、日本人は欧米や中・露その他の平和思想あるいは顔色のみを追いかけて、時にはそれらを権威の旗印にするという醜態を晒し続ける必要はないのではないか。いや、今のような平和学者のお墨付きをもらわなくても、日本人は主体的に平和さらに政治を考えるべきなのだ。ここ一世紀の間、侵略国ヨーロッパと被侵略国アジアの狭間のアジア国という極めて珍しいポジションに置かれて、愚行も蛮行も善行も成し遂げてきた日本および日本人が、その立場から逃れることなく(………今日も基本的にこのポジションは変わっていないのだから)自己の政治学・平和思想を構築することは世界に対する義務であるとさえ言えるのではないか。要は、この政治学・平和学が世界的普遍性を持つものに洗練されればよいのだ。





5、日本における近代外交の出発点

百年を単位とする文明論的スパンで見れば、日本で近代的外交が始まったのは、1853年(嘉永6年)。ペリー来航から数えて、ほんの一昔半まえのことである。もっとも、日本の近代的外交は、周知の通り、自ら始めたのではなく始めさせられたのだが、当時の日本の知的指導者たちの考え方の基本は大体、儒教的外交倫理だった。具体的には、佐久間象山、横井小楠、勝海舟らの意見に代表される考え方である。



佐久間象山は、「東洋道徳、西洋芸術」(芸術とは技術のこと)を唱え、西洋の科学技術を取り入れながらも、西洋列強が犯している侵略行為を批判し、日本は儒学(特に朱子学)で行かなければならないと説いた。横井小楠も儒教的理想主義の立場から発言し、まず幕府の政治は天下万民のための政治ではなく徳川のための政治であり、各藩の政治も大名のための政治になっているから、西洋諸国の政治の方が、はるかに儒教的理想の堯・舜の政治に近いとまで言っている。



しかし、西洋諸国は互いに戦争を行い、アジアを侵略して、堯・舜の政治の根幹にある「仁」が根本的に欠落していると批判する。そこで日本は西洋機械の技術を会得して富国強兵となるだけでなく、世界一の仁義の国となって世界平和を実現すべきだと主張した。さらに、この横井小楠をさして、「おれは、今までに天下で恐ろしいものを二人見た。それは横井小楠と西郷南洲だ。横井は西洋のことも別にたくさんは知らず、おれが教えてやったくらいだが、その思想の高調子なことは、おれなどは、とてもはしごを掛けても及ばぬと思ったことがしばしばあったよ。………横井の思想を、西郷の手で行われたら、もはやそれまでだと心配していたのに、はたして西郷は出てきたわい。」(「氷川清話」)と語り、さらに「ワシの先生」(海舟座談)とまで語った勝海舟は、日本・朝鮮・中国の三国同盟まで考えた。



もっとも、佐久間と横井、勝とでは、思考の相違点もないわけではなかった。佐久間が堯・舜の時代の封建制を江戸幕府体制にも徹底しようとして、その結果、幕藩体制を存続強化する考えだったのに対して、横井と勝は幕府を潰すことも視野に入れていた。だが、当時の西洋列強の外交原則を低卑なものと見る視点は共通していた。



西郷の文明論も同様だった。西郷は、西洋では罪人に対して過酷な罰を与えるよりも、善良に導くために罰を緩やかにして良い書物を与え、場合によっては家族友人との面会をも許している。これは東洋の聖人の考えに通じるものだが、東洋では今の西洋のように現実の処置が執られてきただろうか。「(西洋は)実に文明ぢやと感ずるなり」と西洋を讃えながらも、そのすぐ前で、文明とは建物、衣服、外観の豪華を指すのではなく、「道」が広く実現している状態をいう言葉だと規定して、次のように語っている。



私は以前ある人と議論したことがある。わたしが西洋は野蛮だと言ったら、その人は、いや文明だと言ふ。私が、いや野蛮だとまた言ふと、その人が、なぜかと聞くので、私が答へた。本当に文明ならば、未開の国に対しては、慈愛を基本とし、懇々と説諭して開明に導くべきなのに、さうではなく未開蒙昧の国に対するほど残忍の事をして、自国を利するから野蛮だと。相手は何も言はなかった。(『西郷南洲遺訓』)



ここで西郷は、「世人の唱ふる所、何が文明やら、何が野蛮やら、ちっとも分からぬぞ。」とも言っている。西洋列強に対する、いや、日本人に対する痛烈な批判を見るべきである。



話が戻るが、太平洋戦争中に身命をかけ、時には日本軍・政府の命命に背いてでもビルマ独立に尽くした鈴木敬司大佐ら南機関のメンバーや、インドネシアに散った阿部頌二たちは、勝や西郷らの精神を引き継ぐ者である(彼らについては、前回の記事を参照)。平和と愛国心を考える現代日本人は、これらの精神をスタートラインとするべきではないだろうか。





6、世界性を持つ東洋王道の平和思想

ここまでは大体一般的に知られた事実である。だが、問題はここから始まる。横井や勝の考え方は「国家エゴイズムの否定」という極めて難しい課題につながっている。個人のレベルでも難しいエゴイズムの否定を国家レベルで要請することは、今日の西洋さらに東洋の人問にも簡単に受け容れられるものではないだろう。しかも、横井や勝らの思考モデルだった儒教の理想は、君主エゴイズムの否定だったのだが、彼らはそれを外交の理念に単純に拡大して、国家エゴイズムの否定を理想とした。そして西洋列強諸国を批判したのである。ということは、ある国がもしも君主独裁の国家ならば、君主が自己のエゴイズムを押さえて否定すれば、少なくとも理屈の上では国家エゴも否定されることになる。『日本書紀』の山背大兄王が独裁君主となった国家を想像してみればよい。



だが、現代日本は国民一人一人の声が(形式的であっても)国政を左右するのであって、国民が国民エゴイズムを否定しない限り、国家エゴイズムは否定されない。そして、国民が国民エゴイズムを否定するということは簡単にできるものではない。つまり極論するならば、儒教の外交理想は、儒教の理想がより具現化していると横井らが思った西洋近代内政システムの下では、かえって実現しにくい面もあるのだ。



勝や西郷らは、この点を深刻に考えなかった。いや、考える必要がまだなく、また考えている余裕もなかった。だから、抜群の政治家である勝でさえ、外交について、「つまり外交上のことは、公法学も何もいったものではない。ただただ一片の至誠と、断固たる決心とをもって、上ご一人を奉戴して、四千余万の同胞が一致協力してやれば、なあに国際問題などは屈でもないのさ。」(「氷川清話」)と、国民の「至誠」と「一致協力」が可能であるように語っている。勝がどこまで本気でこのように語ったのか分からないが、現代日本人の何人に、「至誠」と「一致協力」とが期待できるだろうか。勝の辞書には、「大衆文化」、「大衆専制国家」という言葉は存在しなかったのだ。



しかし、思想さらに愛(人への愛であれ、国への愛であれ、世界への愛であれ)とは、本来どこかに理想を秘めているものではないか。ならば日本は、侵略を働いた西洋の国家や一部の東洋国家に対して、「国家エゴイズム」の否定精神を要求すべきである。英国、米国、仏国、ノルウェー、デンマーク、オランダ、オーストラリアなどは今もなお植民地(………国連では非自治組織として認定しているが………)を返還していない。他民族を支配する中国、ロシアも極めていかがわしい。もっとも返す刀で日本は東南アジア諸国から斬られるかもしれない。斬られたら、その傷から教訓を得ればよい。思想や愛というものは、背後に血や涙が流れているものだ。具体的には、三点ほど。



第一点は、東南アジア諸国に第二次世界大戦を見る認識の枠組み(パラダイム)を変更してもらう事である。いや、西洋諸国にも認識の枠組みを変更してもらわねばならない。現在、第二次世界大戦は連合国側(英米仏)対枢軸国側(日独伊)という枠組みで解釈されているが、これはヨーロッパからの視点であって、アジアからの視点が入っていない。「植民地拡大国家」対「独立願望国家」という認識枠組みを加えるべきである。そうすると、日本の中途半端な立場が見えてくる。まず、「植民地拡大国家」の中には英米仏蘭のほかに日本も加わるだろう。だが、日本が単なる「植民地拡大国家」ならば、なぜ、ビルマやインドネシアなどに対して日本敗戦前に独立を承認したのか理解できない。筆者は独立承認が遅きに失したと思ってはいるが、それでも日本は倒れる前に独立を承認している。しかも国家意志として現地の独立を支援もしている。これは、英米仏蘭などが戦勝後、再びアジア植民地奪還を目指して現地の独立軍と戦闘を操り広げたのとは全く異なる国家の態度である。



つまり、日本は、「植民地拡大国家」にも「独立願望国家」にも入り切らない、「侵略ヨーロッパと被侵略アジアの狭間の、唯一近代化していたアジア国」というポジションに位置していたのであって、この第三のポジションを第二次大戦認識の枠組みに加えるべきである。そうしないと、連合国側が勝利したのに、なぜアジア諸国が戦後すぐに独立できたのか説明できなくなる。



また、日本が独・伊と手を結ぶ時、日本国内には反対意見もかなりあり、(昭和天皇も危倶される、というより反対する内容の口吻を漏らされている)この点でも、連合国対枢軸国という認識の枠組みを、アジア諸国さらに西洋諸国に疑ってもらわなければならない。



第二点として、以上のような日本弁明的な内容に終わりかねない仕事だけでなく、文明論的なケーススタディとして、勝・西郷の理想に始まる日本近代百五十年の姿を、良いも悪いも世界各国に晒してみることも将来の平和思想の課題である。なぜならアジア諸国にとっては、日本近代150年は近代化への善悪両方の手本となるからである(………現代アジア諸国も近代化とともに隣国を侵略し始めている………)。また一方、欧米諸国にとっては、アジアの近代化を理解する、おそらく最大の材料になるからである。



さらに第三点だが、西洋諸国からは今も東洋諸国家の方が野蛮で侵略的に見えているのではないか。しかし東洋匿国からは、少なくとも外交に関しては西洋の方が野蛮、侵略的と見えているはずである。ならば、この逆転現象がどこから来ているのかを、百年単位の文明論的スパンで明らかにするのも、世界的普遍性を目指す平和思想の課題だと思う。





7、戦後日本の平和論

戦後日本で平和を声高に唱えてきた学者、文化人、マスメディア関係者は、以上の平和思想を理解しないかもしれない。彼らは、日本歴史に「国家的エゴイズムの否定」の精神が流れていることを理解したがらないからである。彼らは、戦後の自分たちこそが国家エゴ否定の精神を持ち、実際に遂行してきたのだと言うだろう。だが、彼らのほとんどは、日本国家の存続を図りながら日本のエゴイズムを否定するという苦しみを、正面から引き受けない者であって、本質的に、気楽な国家エゴ否定論者に過ぎない。



筆者は学生時代に大学で、強烈なポスターを見たことがある。ある政党のポスターだが、自衛隊の写真が写っていて、「その銃口は誰に向けられている」と書いてあった。自衛隊(軍隊)の否定は強力な国家エゴの否定だったかも知れないが、それから20年ほどたって、その政党のトップが総理大臣になり、自衛隊を観閲し、自衛隊の責任者的立場に就いたのには驚いたものである。その総理大臣は観閲の時に、反人民的気持ちで「君が代」を歌い、アジア侵略の象徴「日の丸」を仰いだのだろうか。しらふで仰いだとは到底思えない。



また現在の大学教員の中には、学生時代に「大学解体」や「日本のアジア侵略糾弾」を叫んだ者も多い。彼らは今では、教授クラスになって大学内権力を握ったはずだが、いつ大学解体に着手し、いつ職を捨ててアジア諸国へ謝罪の旅に出るつもりなのだろう。教授になったら次は学部長さらに学長を狙い、出世の展望が見えなくなったら予備校でバイトするなどという魂胆は、あまりに薄汚い。先の自衛隊を観閲した総理大臣の方が間抜けなだけに、まだ愛嬌があるというものである。



ついでにもう一つ、筆者は昔、数年間、小学校の教員をしていたことがあるが、近くの小学校に奇特な教員がいた。「ソ連が善でアメリカが悪で、日本はアメリカの手先」という資料をいろいろ手作りで児童に与え、それを研究させて、広島・長崎の原爆も、何もかも悪いことは悪玉アメリカと子分の日本のせいだという結論を出させ、それを分厚い実践報告書にまとめ、日教組の教研集会で得々と発表していた。この先生はソ連消滅後、はたして生きているのか、余計な心配をしてしまうというものである。



現代日本人は、これらの欺職の亡者に屈服してはならない。また、21紀の日本の若者が世界に貢献し、かつ胸を張れるような、しかし傲慢にならないような平和の思想や愛国心教育を構築していかねばならない。







   

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