靖国神社参拝は当然だが、靖国神社の神主は馬+鹿である     (後半)

君は、靖国神社に関して少しうるさい方のやうだが、靖国神社はどこにあるのか。



東京都千代田区の九段だ。君はそんなことも知らないのか。



関心がなかった。また、学校で習はなかった。



ミュージシャンが一万人コンサートをする武道館は知ってゐるのか。



知ってゐる。地下鉄の九段下駅で地上に出ると、武道館だ。



靖国神社はその道路を挟んだ目の前にある神社だ。靖国神社の桜が、東京の桜開花宣言の目安となってゐる。その桜を見たことがないとは無粋な奴だ。



えらさうに言ってゐるが、君は見たことがあるのか。



何度も靖国神社に行ったが、桜は一度しか見たことはない。



人を馬鹿にしてゐる。君は言ってゐることが矛盾してゐるではないか。



桜を見に行って、実際には人の顔を眺め、春の風の音を聞きに行って、結局騒音を聞かされ、桜の花の香りを探るつもりで安酒のにほひを嗅がされては、たまらないから、桜のころには靖国神社に行かない。



いつ行ってゐるのか。



平日の昼下がりだ。近所の学校帰りの女子中高校生や参拝人がチラホラ歩いてゐるだけだ。



「靖国神社は日本軍国主義の象徴」といふ声もあるが、それでも君は参拝してゐるのか。



君はずいぶん大上段に振りかざして抽象的なことを言ふが、「軍国主義の象徴」とは、どういふ意味か。かつて靖国神社が、今の北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国のように、国内人民が飢ゑてゐても軍拡を進めて、さらに敵を強調して「戦へ」「戦へ」と思想統制をしてゐたといふ意味か。それとも靖国神社は利用されてゐただけだが、軍拡強調・戦闘扇動に大きな働きをしたといふ意味か。それとも、今も靖国神社が軍拡強調・戦闘扇動してゐる神社だといふ意味か。あるいは、今こそ違ってゐても、これから靖国神社が軍拡強調・戦闘行為を煽るやうになるといふ意味か。



さう突っ込んでこられても、なんとなくさういふイメージが世間にあるのであって、僕がさう言ってゐるのではないから少し困るが、靖国神社が、太平洋戦争を日本に正義のある戦ひで、日本兵は立派に勇敢に戦ったのだと強調してゐるのは、間違ひない。だからそれが将来、日本が戦争を始めるときに追ひ風になることは間違ひない。



君はずいぶん論理の飛躍を語るものだ。ならば、こちらも論理を飛ばして君に尋ねるが、世界中の国で、自分が行った戦争を、「間違っていました。他国への侵略でした」と自主的に懺悔・賠償した国があるのか。アメリカは原爆投下や東京などの大空襲で何万人もの非戦闘員を初めから狙ひ、虐殺したことを日本に謝罪したことがあるのか。ロシアは昔からの南下政策による多くの外国侵略を一度でも謝罪したことがあるのか。日ソ不可侵条約を突然破って日本の北方領土を奪ったことを謝罪して、北方領土を日本に返還したのか。中国は、日本の自衛隊が一度も外国を侵略しなかった戦後60年の間にチベット侵略、対ベトナム戦争をしたが、チベットやベトナムに一度でも謝罪・賠償したことがあるのか。大体、日本軍がアジア諸国を「侵略」する前に何百年もアジア諸国を植民地にしていた英米蘭仏などの欧米諸国は、一度でも被植民国に謝罪・賠償したことがあるのか。ドイツはナチス時代のユダヤ人ホロコーストについては謝罪したが、第二次世界大戦に関しては一度も謝罪していない。昔、インカ帝国を軍事力で滅ぼしたスペインは、アンデスの民に謝罪・賠償したのか。また、現在のパレスチナ問題の大きな原因となった二枚舌外交を展開した英国は、責任をとってゐるのか。「良識ある日本人」が靖国神社を批判するのは結構だが、その良識は靖国に向くよりも、もっと向くべき方向があるのではないか。いや、彼らは反撃が怖い中国ロシアよりも、靖国経由の日本政府批判ならば反撃を受ける恐れがなく、自分が良い顔も出来るから靖国神社を批判してゐるのだ。そんな言論は言論の名に値しない。



そこまで決め付けなくても良いだろう。靖国神社に全く問題が無いわけではない。



それは、その通りだ。僕はあとで靖国神社に対して批判がましいことを言わせてもらう。その中には相当失礼なものもあるかもしれない。だが、僕の靖国神社批判は、一度も実現したことのない「世界平和」や「完全非武装」の理想を振りかざし、自分がその理想を担ってゐるやうな顔をして靖国神社を軍港主義の象徴にしてゐるやうな左翼的平和主義者の靖国批判とは全く異なるものだと言ふことを、前もってお断りしておく。



なにか。君は靖国神社を批判したいのか。靖国神社に参拝しながら、靖国神社批判をしたいといふのは自己矛盾ではないか。



それは違ふ。親に不満や批判がありながらも、親を大切にするのが、健康な子供だ。また、さういふ家庭の子供が健全に育つものだ。つまり、靖国神社に祀られてゐる魂は、ほとんどが「死んだらここで会はう」と誓ひ、またここに祀られることを願ってゐた魂だ。だから僕は、靖国神社に行って、祀られてゐる魂に対して、生意気だが慰め、感謝する気持ちで参拝してゐる。僕のこの考え方が戦争や軍国主義につながると言ふのならば、世界中のすべての戦没軍人慰霊施設は戦争や軍国主義につながるはずだ。また、僕がこのやうな気持ちで参拝することに、まだ問題があるといふのならば、その人はどうやって祀られてゐる魂を慰めるか、具体的な方法を提示するべきだ。同時に僕のやうに戦死者を慰めたいといふ気持ちを満足させる方法も具体的に提示するべきだ。それをせずに靖国神社批判をするだけの人間は、「日の丸・君が代に反対!」と言ひながら、「日の丸・君が代」に代はる国旗・国家をなんら提示できない一部の痴呆学校教師と同じたぐいだ。



口の悪い奴だ。それで君は靖国神社のどこを批判したいのか。



なにも批判したいわけではないが、どうもしっくり来ないものがあるのだ。



何がしっくり来ないのか。具体的に説明しろ。



僕がはじめて靖国神社を参拝したのは大学生の時だったが、地下鉄九段坂下の駅を上がって、神社の大鳥居が見えた時、その巨大な真っ黒の鳥居に違和感を覚えた。材質は鉄かコンクリートだが、僕の体験では、神社の鳥居といふものはそれほど大きな物でなく、また仮に大きなものであっても、決して黒色の鉄やコンクリートではない。木そのものであったり、朱色に塗ってあるものがほとんどだ。京都の下鴨神社の鳥居はクリームがかった朱色で、周囲の木々の緑と調和した柔らかな色だ。また、周囲を圧倒する大きさではない。伊勢神宮の鳥居も、多くの田舎の鎮守の鳥居も同じはずだ。僕は、「これは、ちょっと違ふな」と思はざるをえなかった。



また、参拝を終へて周囲を拝見してゐて、日本軍が中国の上海だったかに突入するときのレリーフを見たときも、また遊就館の内部を拝見した時も、違和感を覚えた。僕は日本軍が勇敢で、国際法を少なくとも中国よりは遵守し、さらに礼儀正しい兵士が多かったことを知ってゐて、日本人として誇りにも思ってゐるが、神社全体の雰囲気は「日本軍かく偉大なりき」を称揚する感じで、慰霊の雰囲気や平和祈念の雰囲気は隅に追ひやられてゐた。こんなことを言ふと叱られるかもしれないが、明治神宮と比べて、さらに軍人を祀っている東郷神社や乃木神社と比べても、「戦い」の波長、さらに「怨念」の波長までも感じた。………もともと………



なにが、もともとだ。



もともと、日本の神社は、規模の大小に違ひはあっても、来る者を拒まず、ゆったりと穏やかに迎へ入れる広さと光と精神的空間があり、その点、崇高であっても厳しさや時に暗さを感じさせることもある教会や仏教寺院とちがふところだと思ふのだが、靖国神社は神社が自己主張して聳えてゐるといふ感じだった。おそれ多いことを言ふやうだが、「靖国神社は神社ではない」といふのが、僕の第一印象だった。この印象は今も変はってゐない。



君は右翼かと思ったら、シッポ左翼よりもひどいことを言ふのだな。



何だ、シッポ左翼といふのは。



左翼の尻尾を引きずってゐるのだが、本物の左翼ならば既に社会主義や共産主義の理想が潰れたことに絶望して物が言へなくなってゐるはずなのに、日本政府と日本歴史の悪口を言っていれば自己存在の証明ができると思ひこみ、しかし用心深く、目の前の人に尻尾の赤色を隠してゐる人種のことだ。また、尻尾が自分に見えないから、尻尾の赤に自分でも気づかない若い人のことでもあるのだが、その伝で言へば、君はシッポ右翼だ。街宣車右翼に刺されないやうにしたまへ。



君こそ、ひどいことを言ふ奴だ。僕は自分の感じたことを正直に言ってゐるだけだ。間違ってゐたら、靖国神社へ行って神職たちに謝罪するよ。



本当か。



本当だ。僕は今までに二回、靖国神社の神職さんに談判、いや、お願ひをしたことがある。だから、間違ってゐたら、また神社へ行って神職に謝罪することを避けない。



何だ、その二回のお願ひといふのは。



四年ほど前の八月上旬に、今年も小泉参拝で中国・韓国との間がをかしくなりさうだといふので、僕は考へた。中国共産党は、「小泉総理が靖国神社に参拝すると中国人民の心を傷つける」といふが、心などといふものは曖昧なものだ。まして発言の自由がない中国人民の心といふものに従ってゐたら、いちいち「心を傷つけられた。だから、ああしろ、かうしろ」に従はなければならなくなる。誠実に物を言ってゐる相手ならば、尊重もするべきだらうが、今の中国共産党の「心」に従ってゐたら、すべて相手の勝手な言ひ分に振り回されるだけだ。まして、中国・韓国は、昭和天皇をA級戦犯、いやトリプルA級戦犯だと思ってゐるのだから、小泉総理大臣が伊勢神宮や昭和天皇御陵へ参拝に行ったら、猛烈な抗議をするはずなのに何もしないのは、それをやったら日本人が反発すると分かってゐるからだ。そのような政治的態度に一々道義的に応じる必要はない。



しかし、現実に日本と中国・韓国との関係が悪くなるのは、避けるにこしたことはない。だから、僕は奇策を考へた。八月十五日に小泉総理大臣が参拝に来たら、靖国神社は参拝を謝絶して、小泉総理を追ひ返す。追ひ返す理由は、「歴代総理は中国・韓国わずか二国の抗議に屈して、長い間、護国の英霊を参拝しに来なかった。今日たまに参拝に来たところで、英霊と当神社は既に不信感を抱いてゐる。」かういふ理由で小泉総理を神社に入れない。かうなれば、中国・韓国は、参拝しなかった小泉総理を批判できない。また、小泉に参拝させなかった靖国神社を批判することもできない。靖国神社を批判すれば、小泉参拝を勧めることになる。しかも、この手ならば、日本国家も靖国神社もメンツが潰れることはない。小泉総理だけが恥をかくことになるが、政治家は国家のために恥も汗もかくのが仕事だ。文句は言わせぬ。



この奇策は隠密に、世間に知られずに遂行されるべきだが、社前で神社と小泉総理とが押し問答しても国の恥になるだけだから、まずは靖国神社にこの奇策を伝へて、もしも神社が納得したら小泉総理と内通してもらはうと思ひい、僕は靖国神社へ行った。



馬鹿だな。



ならば、君は良い方策を持ってゐたのか。



本当に靖国神社へ行ったのか。



行った。



神主はなんと言った。



まず、社殿に参拝してからのことを説明する。数百万の御霊に、「国の平安を導きたまへ。この策が良い結果をもたらすやうに導きたまへ」と祈ってから、神職がゐる建物に入って、神職を捕まへた。年齢は四・五十代ぐらいだったから、トップの神主ではなかったやうだが、僕は「日本の安寧のためだから。」と、神社がこの奇策を取りあげて政府と一芝居うってくれるやうに頼んだ。



相手はなんと言ったか。



初めは驚いたやうな顔をして、こちらをジッと見てゐたが、しばらくして、「それは出来ません」といった。僕が、「なぜ出来ないのでせうか」と尋ねると、「神社は来る者を拒みません」といった。それはその通りで、日本の神社は、あらゆる物を受け入れる。完全にさうなってゐるかどうかは知らないが、それが神社の良さだ。だから、それはさうなのだが、国家の外交が揺るぎかねないやうな時に、神社の伝統も糞もないだらうと思ったから、「そこをなんとかならないでしょうか。神職会議に諮っていただけないでせうか」と、二十分ほど粘ったが、結局あひてにされなかった。



やはり馬鹿だ。君はそのまま帰ったのか。



仕方がないだらう。ほかに取るべき手はない。僕の受けた感じでは、相手の神職は穏やかで誠実さうな人だったが、頭の固い日本人官僚といふ感じだった。



相手の神職も、さぞかし驚いただらうよ。それが「一つめのお願ひ」か。



さうだ。そのあと数年たって僕は、「靖国神社が、戊辰戦争の際の朝廷側の侍たちだけを祀ってゐて、反朝廷側の侍たち、つまり幕府側の侍たちを今も祀ってゐない。西郷隆盛も祀られてゐない」といふ噂を聞いた。それで、まさかそのやうなことはないだらうと思ひ、少し調べたが、どうも噂が正しいやうなので、直接神社に尋ねてみて、もしも祀ってゐないのならば、祀ってくれるやうに頼んでみようと思ひ、また参拝かたがた押し掛けた。



君もうるさい奴だな。なぜ、幕府側の侍たちも祀らなければならないといふのか。



もともと靖国神社は、明治天皇のご意向が強くはたらいて、国のために戦って死んだ人たちを慰め、顕彰しようといふことで、明治12年(1879)に出来た神社だ。もとは東京招魂社と呼ばれていて、それが明治12年に名前が靖国神社と変わったのだが、建立の精神に大きな変化はない。東京招魂社が出来た明治2年(1869)の頃は、幕府軍は朝敵だったから祀られないのは当然だろうが、明治13年(1880)に徳川慶喜は正二位に復し、公爵にもなって完全な名誉回復をとげてゐるのだから、幕府軍兵士も名誉回復といふことで、靖国神社に祀られるべきだ。………もともと………



なにが、もともとだ。



もともと、明治天皇は、「国のために戦って倒れた人を祀る」とおっしゃったのであって、明治政府方の者だけを祀るといったのではないはずだ。大体、天皇は政治対立の一方にだけ荷担するものではないといふのは、少し天皇の歴史を勉強した者ならば知ってゐるはずだ。福沢諭吉が、「天皇は政治社外のものなり」といって、天皇を政治対立の次元に引き落とすことを戒めたのは有名な話だ。それにもかかわらず、靖国神社が、「朝敵の侍は祀らない。」などと今でも頑張ってゐるのならば、それは天皇を政治対立の次元に引き落とすことだ。僕は、それを明治天皇が望んでゐたとは到底思へない。



それでまた靖国神社へ行ったのか。これが二回目といふことだな。



そんなに呆れた顔をするな。これは日本人の思想に関する重大な問題だ。



それでまた、参拝をすませてからといふことか。



君も諫言の作法が分かってきたではないか。



人をからかはずに、さっさと早く事の顚末を言へ。



参集殿とかいふ建物が本殿の横にあり、女性職員がゐたので、名刺を渡して事実確認から入った。やはり祀られてゐないといふことだった。僕が、「祀らないのは明治天皇のお心にそぐはないのではないか」という内容を言ったら、女性職員も困った様子で、「上の者を呼んでくるから。」と言って消えてしまった。少し待ってゐると三十代ぐらゐの神職らしい人が出てきて、「なんたらかんたら殿」といふ所に西郷隆盛も幕府側の侍も祀ってあると言った。僕は、どうも要領をえないから、「それは朝廷側の戦死者と同じ扱ひなのか。」とたづねると、「それは違ふ」と言ふ。「それでは意味がない」と、僕がなほ粘ってゐると神職が、「おっしやるとほり、陛下の大御心といふこともありますからね」と言ふ。………それで、………



それで、どうした。



それで、それが分かってゐるのならば問題ないだらうと思って、「そのお心でお祀りすれば良いではありませんか」といふと、「誰を祀るかを、神社が勝手に決めることはできません。」といふ。「誰が決めてゐるのですか」と尋ねると、「政府の意向を無視できない」といふ。政府が決めるのだといふ言ひ方だった。少し妙な気がしたが、法律論を持ち出されると、こちらは無知だから、「政府が馬鹿なのだ」と思って三十分ほどで引き下がった。



二度目の敗北か。



よけいなお世話だ。ところが、そのあとで靖国問題の本を数冊読んでみると、靖国参拝賛成派の著者が書いた本にも、靖国参拝反対派の著者が書いた本にも、「一宗教法人である靖国神社のご祭神を誰にしろと政府が口出しすることは、憲法の祭政分離の原則に抵触するから、できない。」と書いてある。だから、三十代の神職が僕に言った説明はデタラメだったのだ。



君は敗北した上に丸め込まれたわけだ。



なんとでも言へ。さきほど僕は「靖国神社の神職は頭の固い日本人官僚だ」と言ったが、あれは間違ひだった。靖国神社の神職は、頑固なうへに街中に溢れてゐるジコチュー日本人と変はらない。そのやうな精神性でゐるから、「戦い」や「怨念」の波動が、神社本来の広くおほらな精神空間を押し込めてゐるのだ。中国共産党がいちいち噛みついてくるのは無理も無い。中国共産党と波長があってしまってゐるのだよ。靖国神社の神職は明治天皇に懺悔すべきだ。






ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 3

面白い 面白い 面白い

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

  • 靖国神社

    Excerpt: 靖国神社靖国神社(靖國神社、やすくにじんじゃ)は、東京都千代田区にある神社である。近代以降の日本が関係した国内外の事変・戦争において、朝廷側及び日本政府側で戦役に付し、戦没した軍人・軍属.. Weblog: テレビ朝日のアナウンサーと最新ニュース racked: 2006-08-23 01:44