「古事記の歌謡」と「ギリシア・ローマ抒情詩」の基本的相違   第9回 (全14回)

第四章 美人・健康・酒讃歌 

① 美人讃歌

         美人を讃えるだけ……記歌二首
             vs
         生意気で高慢な美人には皮肉もあり……GR詩三篇




     美人など見たくないと言う男はいない、というのは世界共通の真理のようで、「GR詩」にも美人讃歌はあります。しかし、両者には異なった特徴があり、それは、「記歌」には美人を皮肉る歌がほとんど無いのに対して、「GR詩」には、お高くとまった美人などに皮肉をあびせる詩も多くあるということです。まず、二つの「記歌」を見ていきますが、二首とも単純な美人讃歌です。




   (ⅰ) 仁徳天皇が、奈良の八田(やた)の独身女を恋いて詠んだ歌

八田の 一本菅は、
子持たず 立ちか荒れなむ。
あたら菅原。
言をこそ 菅原と言はめ、
あたら清し女(すがしめ)。 

(八田の 清らかな独身女性は
 子を持たず 荒れてしまうのだろうか。
 惜しい菅だよ。
 言葉でこそ 菅原というが、
 惜しい清らな女だよ。   歌謡番号65)





   (ⅱ) 雄略天皇が、美しい舞姫を見て詠んだ歌

あぐら居の 神の御手もち
弾く琴に 舞する女、
常世(とこよ)にもかも。

(足を組んで坐っている 神の手が
 弾く琴にあわせて 舞っている美しい女、
 いつまでも見ていたい、いてほしいなあ。  歌謡番号97)





     次に、「GR詩」を三篇見ますが、最初の詩が単純な美人讃歌であるのに対して、その次の二つの詩は、高慢ちきな美人に対する皮肉・風刺の詩になっています。このような詩歌は、「記歌」にはほとんど見られません。




   (ⅰ) わが懐に抱かれて

    ここに眠れる者は
    その昔のコロフォーンの遊女アルケアナッサ。
    老いの影が
    その美しき顔に兆したあとも、
    なお甘くやさしきエロースの神が
    その姿態に宿りたりき。
    その舞姫のうら若き日々に
    あでやかに咲き匂う
    その花を摘んだ若君たちは、
    どれほど炎の想いに
    胸を焦がしたものか。    アスクレーピアデス(BC4~3)




(ⅱ) きりょう自慢でロドペーはお高くとまっている。
    それで私が「今日は」とでも言おうものなら、
    高々と眉をつりあげ、横柄にあしらい返すんだ。
    もし戸口へ花環でも この私が吊り下げておいたら
    いきりたって、いきなり足で踏んづけてしまうよ。
    ああ、小皺と情け容赦ない老いよ、もちっと早く来ておくれ、
    大急ぎでな、せめて君らが、あのロドペーに物見せてくれるように。  
                                    ルーフィーノス(AD6)




(ⅲ) ギリシア中を誇らかに見下し笑った女、
    慕い寄る若殿たちを その当時
    戸口に集めた 妓女のラーイス。
    美神アフロディーテに 彼女の手鏡を
    さしあげ申す その故は
    今の姿を 見たくも思わず
    そうかといって 昔の姿は 見せられもせぬから。   プラトオン(前出)







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