「古事記の歌謡」と「ギリシア・ローマ抒情詩」の基本的異相   第8回 (全14回)

第三章 国王讃歌

          ③ 高貴な国王……記歌二首
               vs
             敵前逃亡の国王への皮肉……GR詩二編




     「GR詩」は既に見たように、国王は自分の人徳(勇気・謙虚)や業績によって称讃されました。したがって、国王に人徳や業績がない場合は、皮肉・批判の槍玉に挙げられることになります。今回、「記歌」二首のあとで紹介します。

     一方、「記歌」の国王讃美は、既述の天皇讃歌を見て分かるように、国王の業績によって発生したものではなく、さらに人柄によって発生したものでさえありません。では、何によって「記歌」の国王讃美が発生したのか、読者諸賢に沈思黙考していただく材料に、「記歌」二首を採り上げます。一首目は日本神話の中の歌なので、まだ天皇は登場せず、天から地上を雄々しく飛び交う神を讃えた内容の歌、二首目は雄略天皇を讃えて御機嫌をとった歌です。




      (ⅰ) 天から降り、また天に飛び帰った阿遅志貴(あぢしき)高彦根の神の
           勇姿を、妹の神が讃えて詠んだ歌
         
天なるや 弟棚機(おとたなばた)の
項(うな)がせる 
玉の御統(みすまる) 御統の
あな玉はや。
み谷 二渡らす
阿遅志貴 高彦根の神そ。

(天の世界の 若い織姫が
 首にかけている
 珠の飾り その飾りの
 穴の空いた珠は美しい、その珠のようなお方。
 谷を二つ 一度にお渡りになる
 阿遅志貴 高彦根の神様よ。    歌謡番号7)





     (ⅱ) 三重の娘が天皇に盃を差し出したところ、盃の酒に葉が落ちて
         浮いているのを見て、娘がお詫びかたがた天皇を讃え、ご機嫌をとった歌   

纏向(まきむく)の 日代の宮は、
朝日の 日照る宮。
夕日の 日翔る宮。
竹の根の 根足る宮。
木の根の 根蔓(ねば)ふ宮。
八百土(やほに)よし い杵築(きづき)の宮。
真木栄(まきさ)く 日の御門(みかど)、
新嘗屋(にひなへや)に 生ひ立てる
百足(ももた)る 槻が枝は、
上つ枝は 天を覆へり。
中つ枝は 東を覆へり。
下つ枝は 鄙(ひな)を覆へり。
上つ枝の 枝の末葉は
中つ枝に 落ち触らばへ、
中つ枝の 枝の末葉は
下つ枝に 落ち触らばへ、
下つ枝の 枝の末葉は
あり衣の 三重の子が
捧がせる 瑞玉盃(みづたまうき)に
浮きし脂 落ちなづさひ、
水こをろ こをろに、
是しも あやに畏(かしこ)し。
高光る 日の御子(みこ)。

(纏向にある日代の宮は、
 朝日が 照る宮、
 夕日が 輝く宮、
 竹の根が 満ちている宮、
 木の根が 広がっている宮です。
 多くの土を 築き固めた宮で
 りっぱな 檜の御殿です。
 新穀物を召し上がる その御殿に生い立っている
 一杯に繁った 槻の木の枝は
 上の枝は 天を覆っています
 中の枝は 東国を覆っています
 下の枝は 田舎を覆っています。
 上の枝の 枝先の葉は
 中の枝に 落ちて触れ合い、
 中の枝の 枝先の葉は
 下の枝に 落ちて触れ合い、
 下の枝の 枝先の葉は
 衣服を三重に着る その三重から来た娘が
 ささげている 美しい盃に
 浮いた脂のように 落ちて漬かって、
 水音も ころころと、
 これはまことに 恐れ多いことです、
 高貴な 日の御子様。    歌謡番号101)





     一方、「GR詩」ですが、敵前逃亡した王や卑怯な王は風刺・批判にさらされています。次の二編のうち、はじめの詩は、「キュノスケファレーの戦いに敗れしフィリッポス五世を責むる」と題されていますが、フィリッポス五世とはマケドニアの王で、ローマ軍とキュノスケファレーで戦い、敗北。それ以降、ギリシアはローマの軍事力に屈することとなった………という人です。続く二編目は、「挙国一致を風刺した詩」で、これは、今のフィリッポス五世のような王が指揮を執っている時に出てくる諷刺詩ですが、「記歌」には全く見ることが出来ない詩歌です。




 慟哭もなく、葬礼もなく、
 道行きたまう人よ、
 この塚にわれら横たわる。そはマケドニアにとって
 大いなる悲歎であった。
 しかるに、フィリッポス王が
 その勇猛な心は、
 足速き鹿にもまさる速さでもって
 雲を霞と逃げ失せてしまった。    メッセーネーのアルカイオス(BC2)



 

      挙国一致 
 みなが酔っぱらっている中で、
 アキンデューノスだけは
 しらふで過ごすと言い張った。
 そいだもんで今度は、
 彼の方が一人だけ
 酔っていることに なってしまった。    ルーキアーノス(AD2) 
  





     この「GR詩」の国王讃歌が、国王の業績と人柄を讃えているのに対し、「記歌」の国王讃歌は、人柄や実績が讃えられているのではない、という相違点がありました。では、「記歌」は何ゆえに国王を讃え、また国王の何を讃えたのか、整理する必要があるでしょう。

     「記歌」の国王讃歌は全部で十首あります。明らかに国王賛歌と分かる歌が四首。さらに国王賛歌と読むことができる歌が六首で、合計十首になります。このうち、明らかに国王讃歌と断定できる歌四首は、この第三章にすべて掲載しました。歌謡番号(掲載順に)48・58・102・101番の四首。また、国王讃歌と読むことができる六首のうち、99・49・103・7番の四首を掲載しています。これら十首すべてについて言える特徴が、今の特徴です。


     では、「記歌」は、なぜ、「小さく愛らしく、威厳も迫力もあまり感じさせない国王(天皇)」を讃えたのか。それは、天皇だから讃えたのです。また、個々の天皇というよりも、天皇という位を讃えたのです。なぜならば、天皇は天上の天照大御神の子孫であり、天照から地上の国の統治者として任命された者だから。多くの国王讃歌の中にあり、今回の(ⅱ)の讃歌にもある、「高光る日の御子」という言葉が、その意味合いを表しています。


     逆に言うと、天皇を讃えるときに、天皇を小さく喩えようが大きく喩えようが、愛らしく表現しようが逞しく表現しようが、また、迫力あふれる姿で讃えようが、御簾の奥に垂拱している姿(静かに坐って、臣下に国を治めさせている姿)で讃えようが、それらは二の次の事柄で、たまたま人々の好み(美感)が、小さく愛らしい天皇像にあっただけです。


     と、ここまでは、大体わかりきったことだと言えるような理由ですが、しかし、もしもそうならば、なぜ「記歌」の国王讃歌には、「天照の子孫」とか「統治を任命された者」という誉め言葉がないのでしょうか。ここを考えておかないと、この問題に最低限の解答が見えたとは言えないでしょう。


     「天照の子孫」「統治を任命された者」という讃辞が「記歌」の中にないのは、そんなことは讃歌を伝承していた人々には当たり前のことだった………当たり前すぎて忘れかけていたかもしれません………。当たり前だから一々語らない。「高光る日の御子」という言葉で充分だった。しかし、讃歌の中に「高光る日の御子」という言葉もないと、天上とのつながりが切れてしまい、その結果、天上という高貴の根拠・源泉と天皇とが切れてしまうから、「記歌」は枕詞のように「高光る日の御子」を使ったのです。


     と、ここで話を終えてもよいのですが、ここで終えたのでは、まだ不十分かつ不完全であります。天皇が「記歌」の中で「高貴な天皇」として讃えられているのは、厳密に言うと、天皇が天照の子孫で地上統治を任命された者だからではなく、天皇が天上の国と地上の国とを繋ぐ保担者であるからです。………と言うと、何かわけの分からないことを言い出したようですが、これは重要な事柄です。


     日本人が長らく意識してこなかったことですが、天皇が高貴な存在だという大きな理由は二つあり、それは本来別のものです。
①天皇が天照の子孫として地上統治を任命された者だから。
②天皇が天上の国と地上の国とを繋ぐ保担者であるから。
そして、「記歌」の天皇讃歌の根拠は①よりも②の方に、はるかに重くウェイトがかかっているのです。


     話が少しズレるようですが、この二つは同じ物のようで、全く違います。天皇だから二つが不可分ですが、「血筋家柄」「職業(?)」とを区別しなければ、のちの論理展開上、無意識の混乱を引き起こすことになるでしょう。あえて比較するならば、キリスト教国では、
①神の血筋家柄を継いでいる人、あるいは神の子は、イエスという人で、
②地上の国を天の国のようにして、天地の連続性を保担しようとする人も、やはり、「天に於けるように地上にも御心が行われますように。御国が来ますように。」(マタイ伝)と祈ったイエスでしょう。
しかし、イエスの職業(?)である②を引き継いだ教会や教会のトップは、イエスに子供がいなかったのだから、イエスの「血筋家柄」を継いではいません。


     話がもどって、今回の讃歌(ⅰ)は、「あぢしき高彦根の神」が二つの谷を一度に飛び越えて、天上と地上とを行き来する雄姿を讃えた歌でした。この讃歌はこの神を「天上のみすまるの玉」のように美しいと讃えてもいました。この「みすまる」が「すめらみこと」を連想させる言葉であると同時に、天上に高貴の源泉・根拠があることを示している言葉でもありますが、何よりもこの神が讃えられている理由は、この神が天地を飛行して二つの国を繋いでいるからです。逆に言うと、最も高貴な神である天照大御神を讃えた歌が『古事記』『日本書紀』中に一つもないのは、ひょっとすると天照が天上にいただけの神だったからかもしれません。 


     同じように「記歌」中の天皇讃歌も、天皇が天上の国(天照の国。流血の戦闘がない国)と地上の国(人間の国………もっとも、『古事記』『日本書紀』には「国つ神」といって、その地方その地方の古い人々の先祖だという半分人間のような神も時々いますが………。流血の戦闘がある国)とを断絶させない、連続性の保担者だから、讃えられているのです。


     もちろん、「記歌」を語り伝えていた人々の頭の中に、そのような「天地連続さらに天地一体の保担者としての天皇」を讃えるなどという意識は、強くなかったでしょう。強くあれば、そのような表現が出ているはずです。しかし、人々に天皇讃美の根拠を突き詰めて問うならば、そのような結論になるのではないでしょうか。


     そうでなければ、『古事記』中の、天皇をコケにしたような文や、『日本書紀』中の多くの悪人天皇の記述(「日本神話とギリシア神話・第18回」を参照)が多くあるにもかかわらず、同じ『記』『紀』の中に、天皇という位そのものを廃しようとした行動も発想も全く見られない、また、悪人天皇から天皇の位を剥奪しようとした形跡も見られない、見られないどころか、多くの天皇賛歌があるということが説明できません。


     たとえば、雄略天皇などは『日本書紀』中で「天皇は自分の心だけで専決されるところがあり、誤って人を殺されることも多かった。天下の人々はこれを誹謗して、『大変悪い天皇である』といった。」(講談社学術文庫『日本書紀・上』288ページ)と、人々から批判されているにもかかわらず、同じ雄略天皇が、『古事記』歌謡ですが前回の(ⅱ)や今回の(ⅱ)のように、ゴマスリ半分でも讃えられているのです。


     つまり、もしも①の「皇孫・統治被任命者」という理由「だけ」で天皇が讃えられたのならば、雄略天皇などの悪人天皇は、「天照の子孫なのに。被任命者としてふさわしくない。」と批判されて、雄略天皇を皇位から外そうとした臣下の行動や発想が、断片的にでも『記』『紀』に描かれているはずです。だが、雄略天皇や武烈天皇でも、②の「天地連続の保担者」としての任務(具体的には、天照の御魂を祭り国内の平安を祈る。2005平成17年12月24日・日本神話とギリシア神話・第17回を参照。)は欠かさなかった……だろうと思います……から、評判の悪い天皇に対する讃歌までもが存在するのです。逆に言うと、天皇の近くにいた人々は、厳寒の朝でも祭りを欠かさずに国内の平安を祈る天皇を見ると、おそらく悪人天皇であっても位を剥奪しようという気にならなかったのだ、ということです。






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